東光寺薬師如来霊験記

常陸の国小栗城主満重は関東管領足利氏に攻められ城は落城、落ち延びた先で毒を盛られ二目と見られぬ姿となり果てた時に、一人の老僧現れて小栗主従に告げた。
その身は熊野三山に詣で祈願すれば必ず元の身に癒ゆるであろう。
共の照手姫の曳く箱車に乗り熊野権現に最後の救いを求める為に旅立つ小栗。

艱難辛苦の旅の途中ここ紀の国 印南浦 東光寺に立ち寄り、
薬師如来様にご加護を頼み二十一日の願をかけた。

満願の日夢枕に薬師如来様顕れ、
先の老僧はこれ我が身なりこの上は熊野湯の峰にて湯治されよとの御告げを頂き、
熊野は湯の峰へと参り百日の湯治に専念、その身は全快し小栗家も再興されました。 以後小栗判官の通った熊野古道を小栗街道と呼ばれるようになりました。 また湯の峰にも我が寺と同じ薬王山 東光寺を建立したと当寺には伝えられる。

小栗判官・照手姫東光寺参詣図

小栗判官・照手姫東光寺参詣図

作者 湯川松堂氏略歴

明治元年六月十日和歌山県日高郡印南町生まれ 本名 湯川愛之助 松堂と号す 浪速(大阪)に出て三谷貞広・鈴木松年に師事。 人物・山水・動物・花鳥の描写に秀でて明治中期美術界を指導開拓した第一人者です。 特に皇室関係の御用に供する絵画に大きな功績を残し名声を博しました。 昭和三十年十一月十八日 八十八歳にて没

東光寺の枇杷の葉施療法の伝承

古来、東光寺では枇杷の葉を使った施療を行っていました。 小栗判官も東光寺参詣の折、枇杷の葉湯により滋養したと伝説にもあり実際に近年まで東光寺で枇杷の葉湯のお風呂に入る人が大勢ありました。記録には枇杷は大薬王樹(だいやくおうじゅ)・葉は無憂扇(むゆうせん)と呼ばれ、枇杷の葉は重さ一両のものがよい、嘔吐・産後には煮汁を飲み、皮膚病・傷には湿布もしくは湯に用ゆるによいと有ります。 その昔、医療未開の時代には寺が病院の役割を果たし、民間療法や漢方を用い庶民の生活を支えてきたのでしょう。 東光寺では今もその面影を残しています。

東光寺伝説 ご祈願・御朱印について

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和歌山県日高郡印南町印南 2332
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